日本薬物対策協会
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薬物体験者の実話2
薬物体験者の実話 第二弾です。
昨日ラジオにて、現代劇センター 真夏座の羽藤さんに読んでいただいた体験文です。

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「私は薬物を使ってた、だから薬物ヤルな、なんて偉そうに言わない、ただ薬物やったら、こうなるよって実感込めて伝えたい。俺は見てた、俺の真似して薬物使って地獄に堕ちてゆく行く弟を、そして家族を」

私が薬物と出会ったのは16歳、暴走族仲間から薦められたシンナーだった。きっかけは簡単、断るのがカッコ悪かったから、みっともなかったから。犯罪意識なんかなかったし、いつでもやめられるって思ってた。シンナーやってた頃のことラリッて殆ど覚えてません。シンナーは脳を縮める。マリファナは約16年使ってた!完全中毒!マリファナはゆっくり人間壊します。マリファナは害がないなんて言うけど自分含めて後遺症、狂った仲間、自殺した仲間たくさんいます。覚せい剤、私は、やりたくなかった。でも、仲間に誘われて簡単に使った。今、考えると仲間に依存してた。ヤク使ってる時は自分じゃなくなってる!ヤクチュウに本当の青春はない、クスリ使っての青春しかないんです、これがどれだけ苦しいことか寂しいことか。使い始めた時から心の成長が止まる。今でも、うまく心のバランスが取れないことがある。

3歳違いの弟は子どもの頃から私と一緒に行動することが多く、私を真似るように、それ以上に薬物にのめり込んで行った。本人にとっても家族にとっても地獄の日々が始まった。私は弟に“シャブやるならマリファナにしろっ”て言てったんだから完全狂ってましたね。弟の薬物使用を知りながら止めることが出来ないもどかしさ、自分のせいで何とかしなきゃ、親にも真実をいえなかった、自分が薬物使っていることバレたくなかった。弟は包丁持って暴れたり、見えない何かから逃げるため家の屋根の上を飛び回ったり、ホテルに立て込んだり、数えたらキリがないほど事件を起こし本当に別人になってしまった。もう隠せない状況になり薬物のことを親に話した。両親は震えながらも現実を認めた。

私は東京のアパートを引き払い役者をやめる覚悟で実家に戻り弟を監視した。状況は日に日に悪くなっていく、様々な事件を起こし、そのたびに母と2人で尻拭いをしてきた。いつも「覚せい剤やってるんだろう」と弟を責めてた。弟は完全に逃げ場を失ってた。何かに怯え慄きながら部屋の隅でシーツを被り震えてる弟を見ていると胸に杭を打ち込まれるようだった。辛くて苦しくてたまらなかった。

ある日、弟の彼女から電話があり、弟に包丁で脅され一週間も監禁されていると連絡があった。母とすぐに飛んでいき弟を連れて帰った。悪魔に取り付かれたような目、痩せ細った体、かすれた声、弟じゃない弟がそこにいた。弟を殺そうと真剣に思ったが、殺せなかった。次の日、父が「私達を苦しめないで欲しい」と懇願した。弟は大声を出し私の首を恐ろしいくらいの力で絞めあげた。本当に殺されると思い、死んだふりをした。弟は一瞬我に帰り、お兄ちゃんごめんねと手を離した。数分後、弟は7~8人の警官に囲まれた。警察を呼んだのは父だった。捕ってホッとした気持ち、弟を売ったという複雑な気持ち、私達を睨みながら自らパトカーに乗り込んでゆく弟の姿にゾッとした。完全に別人格でした。家族という絆がクスリによって簡単に破壊した。弟は精神病院に強制入院。オリに閉じ込められ強い薬を処方されロレツもまわらず垂れ流し、糞まみれの中で死んだように寝てる弟を見て、ここにいたら完全に弟でなくなってしまうと思った。

弟を病院から連れ出し伊豆に湯治に行った。薬も飲ませず温泉に浸かり体を動かす。弟は嘔吐を繰り返し子供返りが始まった。目の前にいる27歳の弟が4~5歳の子供になってしまう。一生このままかと思うと鳥肌が立ち涙が流れた。一ヵ月半後、だいぶ落ち着いたので実家に戻る。数日後、弟は飲み屋で暴れた。酒を飲んでのフラッシュバック。裏切られた気持ちで一杯だった。弟を責めた。フラッシュバックも薬物依存の症状の一つでヤクをやらなくても人や場所でもフラッシュバックする。これをきっかけに四六時中、幻覚、幻臭、幻聴、妄想の世界でしか生きられなくなった。ここが私達家族の“底つき”だったのかもしれない。限界だった!真っ暗闇のどん底だった。

ある夜、入院中の父から電話が入り、薬物依存症者の施設があり弟が助かるかもしれないと言う。父が初めて“弟の事を助けたい”と必死になっているのを感じた。“一筋の光”が差し込んだ。薬物依存者回復施設。施設長が「弟は私達仲間が救う」と言ってくれた。母はすがり付いてきた弟に、込み上げる気持ちを抑え「私達は何もしてあげることはできないの、施設に行くか、墓場に行くか、刑務所に行くか」三つしかないのよと伝えた。弟は自分の意思で施設に入寮した。一生、会わない覚悟でした。施設では基本的にミーティングの繰り返し、同じ悩みを抱えた仲間だからこそ嘘なく話せる。家族も家族同士、自分をさらけ出し回復してゆく。人は良い仲間がいれば立ち上がる事が出来る。

その後、弟は順調に回復し一年半後に会うことができた。何も言わなくてもお互いの心がわかっていた。弟は現在、地元を離れ新しい生き方を見つけました。これは薬物依存症者の中では珍しい一例で、殆どの依存者は社会に復帰出来ず苦しんでる。その家族も同様に闇をさまよってます。弟は私の新しい生き方は自身の体験を一人芝居にし、薬物依存症の現実を知ってもらうこと。一人でも多くの人が薬物と関わらずに過ごせます様に!!今日一日ありがとうございます。

内谷正文

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2012/05/19(土) 01:42:31 | まとめwoネタ速neo
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