日本薬物対策協会
日本薬物対策協会(薬物のない世界のための財団日本支部)の公式ブログ。 薬物乱用防止活動や関連ニュースなどをお伝えします!
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薬物元常用者からの文章
30代男性の元薬物常用者の方から、薬物についての文章をいただきました。彼は薬物の地獄から必死に抜け出し、今も自分をよりよくするための途上にいて頑張ってます。
ぜひお読みください。もしよろしければご感想もください。

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「ドラッグは片道キップです」

ドラッグは片道キップです
二度とこの状態には戻らない
この世界には戻らないということです
そしてそれはただ単に今よりいい世界になることはありえません
確実に今より悪い悪い世界になります
絶対にです


よく勘違いしてるのは
またここに戻ってこられると思っていることです
軽い気持ちで片道の電車に乗るのです
二度と戻って来られないとも知らずに
今と同じ場所に戻ってくることはありません
二度と今の状態になることはないということです
今がハッピーだと感じている人は二度と同じくらいハッピーになることはありません
薬のせいで1、2時間だけ極度のハッピーになるかもしれません

しかしそれは片道キップです

薬が切れたとき到着するのは前自分が感じてたハッピーな世界から少しハッピーが消えた世界
もしくは全然ハッピーではなくなった世界です
もし今すでに不幸なら
今よりもっと不幸になった世界
もしくはもはや生きられない世界かもしれません
勘違いしてるのは同じ場所に戻ってこられると思っていることです

これは片道キップです

ここに戻ってくることはありません


ぼくは、ここに戻りたがって片道キップで電車に乗り続け
どんどん前に進んで行ってしまった人を何人も見ています
その人はあまりにもひどい世界に到着してしまったがために
どれかのキップが前の世界に戻してくれると信じて電車に乗り続けます
しかしその電車はその人の希望を
もはや夢となってしまったその人の願いを裏切ります

そのキップは全て片道キップです

その人は次の駅次の駅と進み続け
二度とここに戻ってくることはありません
そしてそこはもう耐えることのできないほどの地獄の世界かもしれません


あなたは誰かにものすごく怒られたり
誰かに殴られたり
もしくは誰かが死んでしまったりして
不幸な気分を味わったことがあるかもしれません
しかしあなたにはその気分から立ち直って
前の状態に戻ることができるかもしれませんし
少なくともチャンスはあるかもしれません

しかしドラッグの場合チャンスはありません

それは片道キップです

不幸な世界にたどり着いたら
前のようなもっといい世界にたどり着くことはありません
あなたは壊してはいけないものを壊し
何かを好きだとかハッピーだとかの感覚を失い
二度と感じられなくなってしまったのです
そしてその代わりに怖いものや悲しいものが多い世界になり
よく怯えたりよく泣いたりするのです


そして一番危険だと思うのが
その人はそれに気付いてないということです

その人はまた戻ってこられると思って片道電車に乗り
違う世界にたどり着き
世界が暗くなっていることに気付かずに生きるということです
自分は戻ってこられたと思い込み
周りの人にも戻ってきたと言い張るかもしれません
その人は自分が前と同じ世界にいると思っているのです

しかしドラッグは片道キップです

その人はもはや以前いた世界がどんなものだったのかさえ覚えておらず
ここが前いた場所だと思っているのです
もといた場所がハッピーだろうと不幸だろうと
自分はそこに戻ってきたと思っているのです
違う場所にいるにもかかわらず
もはや自分がどれほどハッピーだったのかさえ思い出すこともできず
そして戻ってこられたと喜んでいるのです
自分は片道キップでもはや二度と戻らない電車に乗っていることも知らずに


そしてそういう人は何をするのでしょう
ドラッグを片道キップだとは言わずに売るのです
むしろまるでもっとハッピーな世界にたどり着くというような言い方をして
そしてもしその電車に一度乗ってしまったら
二度とここに戻ってくることはありません
売っている人も気付いてません
自分がもう遠い駅に来てしまったことをもしかしたらふと思うかもしれません
自分は不幸になってしまった気がすると
しかしその人はハッピーとはどういう感覚なのかもはや覚えておらず
自分がそこから来たことさえ覚えてないのです
彼はもともとこの不幸な世界にいたと思っていて
戻ってこられたと思い
そして何も気付かず生きるのです

ドラッグは片道キップです

これは遊びではなく
二度と引き返すことのない死へと向かう電車です
いくら願ってもあなたはこの世界に戻ってくることはありません

一度だろうと乗ってはいけません

絶対にです

………………………………………

©️日本薬物対策協会
コピー等にて使用する際には、当協会の承諾が必要です。
日本薬物対策協会
info@drugfreeworld.jp
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脱法ハーブ体験者の実話:「取り返しのつかない選択」
久々のブログアップです。
また、久々に体験談を掲載します。長文ですが、ぜひ読んでください。


「取り返しのつかない選択」 (27歳男性)

高一で留年したときいろんなことが嫌になって学校もいかなくなり、家にもかえらなくなりだし、どんどん堕落していくのはわかっていましたが、止め方がわからない状況におちいりました。周りの完全に学校とかをあきらめたやつらは、仙台に何店舗かあった吸引器などを売っている店から,幻覚をみるようなものや普通じゃ味わえない気分を起こす脱法ドラッグを買って、深夜のコンビニの前で摂ったりして、興奮気味でお前も一緒にやろうぜと誘われたりもしました。それはなんか脳に悪そうだし、危険なんじゃないか、中学校のとき麻薬のビデオを学校でみせられたし、おれはそれだけはやめておこう、将来もあるし、と思いました。しかし同時にそれはどんな気分なんだろう、経験としてやっておきたいなとも思いました。そういう気持ちのまま生きていて、どんどん落ちこぼれていく生活の中で、マリファナを持っている先輩と出会い、やっぱ気になるならやってみないとわからないなと思い、ついにやることにしました。

いろんなことを経験するのはいいことだと思います。しかし唯一ドラッグだけは違いました。これは自分の人生を本当に崩壊させた最大の誤った選択でした。 

すすめてくるやつらはとても楽しそうにしていて魅力があるように見えて、これは悪いものなんかではなく本当は本当にいいものなんだよといってきます。おれはそんな人に囲まれてついにマリファナを吸い、そしたら周りのものが物凄くおもしろくなり、気が付いたら笑っていて笑いが止まらなくなるという現象が起こりました。そしてそれが2,3時間くらい続くとだんだんおさまってくるという感じでした。おれはもっとやりたいと思いました。マリファナを吸い出すと同時に、あの店に売っているものはどうなるんだろうと考えるようになりました。周りにはそういった大麻や脱法ハーブを吸う仲間が増えていき、吸わない奴はつまらなく感じ遊ばなくなりました。そしてあるとき友達が店で脱法ハーブをかってきました。その友達は初めて吸うやつで、おれが吸い方を教えてやるよとそそのかしたやつでした。

店にはいろんな種類のものが売っていて、「幽体離脱」と書かれた「脱法ハーブ」を友達が買ってきました。自分の頭にはすでに吸わない理由はなくなっていたので迷わず吸いました。ハーブを燃やしてパイプで煙を吸い込んだ直後、これはなんかおかしいぞと感じました。頭の中で変な刺激を感じ出し、すぐに煙を吐き出して友達に「これは強いかも、、」と言おうとしたら目の前にもう一人の自分が現れて「これは強いかも、、」と友達に言っていました。幻覚でした。自分はびっくりして今のことを友達に言おうとしたらもう一人別の自分が現れて、すでに今のことを友達に言い出していましたすぐにパニックになり、ものすごい恐怖心が出てきて、必死にこのことを友達に伝えようとすると、目の前にすでに自分がどんどん増えていてそいつが自分の代わりに友達にそれを伝えていました。そして周りは自分で溢れぎゅうぎゅう詰めになり、互いに争いが始まり、辺りはみるみる暗くなり、自分の群れはお互いを台にして上によじ登ろうとしていて、自分も登ろうと必死に戦いましたが、人の山から蹴落とされ、別の自分が勝って、てっぺんの光の中へ一人だけ入っていきました。やつが生き残って自分は死んだと思い、感じたことのないほどの恐怖と敗北感を感じました。遊園地の恐ろしい乗り物にしばられたまま、ひたすら振り回されるといった感じでした。それは全然定かではありませんが、2、30分くらい続いたと思います。友達いわく、その間、ぼくは時折ぶつぶつ言いながらひたすらテーブルの周りをぐるぐる早歩きで歩いていたそうです。自分が見たことと、現実に友達が見ていたものとのギャップに驚かされました。完全に自分のコントロールを失った瞬間でした。

しかし、薬物に本当にはまったのはそれからでした。マリファナは結局吸い続け、あの「幽体離脱」と書かれた「ハーブ」だけが悪かったのはと思い、覚せい剤ものちに摂り出し、その2,3週間後には精神的におかしくなりました。麻薬はすぐにやめられなくなり、薬がなくなるのを恐れて手軽に揃う脱法ハーブは、常に手元に用意していました。いろんな種類の脱法ハーブを吸ったり脱法ドラッグを摂ったりしました。比較的長い期間吸い続けた脱法ハーブのうちの一つは、不安や緊張はやや鈍くなりますが、頭がやけに重くなりボーっとした感覚が3日間くらい取れなかったり、体はずっとだるく何もする気が起きずソファーにずっと横になっているという感じでした。やめないとなあとは思いましたが、やめられませんでした。なくなりそうになると犯罪を犯して、金を作ってでも吸いたいという感じでした。そしてもはやシラフの状態は耐えられなくなりました。

脱法ハーブは違法ドラッグと違い、捕まらないからと大胆な行動をするようになりました。どこで吸っても匂いだけじゃ何を吸ってんのかわかんないし、警察も怖くないし、安心という感じでした。ただ脱法ハーブは実際何が入ってるのかわからないから他の薬より身体に悪いという噂もありました。感覚的には、考えるのも疲れるし、頭は鈍くなり脳にあきらかに悪そうでした。

ぼくは将来子供がほしくて、ドラッグを摂ると奇形児が生まれるという噂もあり、十代でがんがんシャブを摂っている女友達たちが不安そうにそれについて話しているのを横目に、あーはならないようにしようと思いながら、初めは抑えて薬を摂ったりもしていました。しかしそんなのを気にしたのは最初だけで、結局コントロールなんかできなくなりました。子供が障害をもって生まれてこないかは今もなお心配です。あらゆる薬物を摂りまくり、とくに一番わけのわからなかった時期は、ふと気付くと今この瞬間まで自分は何をしていたのか、頭によぎった映像は今想像したものか、昨日の夢で見たことなのか、実際にさっき起こったことなのか全くわからないという感じで、さっき誰かに会ったのかもわからず、これから何をするはずだったのか全然わからないという感じでした。長年ドラッグを摂り続けている友達の中には、自分の結婚式の前日や当日も麻薬を摂った人もいます。また別の友達は結婚する前から毎週末ドラッグを摂っていて、それについて奥さんは全く知らないという感じです。

ドラッグの世界は嘘が蔓延しています。どんどんお互い信用なんかできなくなり、嘘や裏切りだらけでした。自分の周りもドラッグでつながっているという感じでした。

母と父はずーっと薬を摂るのを止めようと必死で、それでも自分は全くやめる気なんかなく、二人はどんどんやつれていき、母親は薬を摂っている間に乳癌になりさらに5年後再発し、それでも自分は薬を摂り続けました。父は久しぶりに会ったときには、水を飲むようにウイスキーを飲むようになっていました。小学生のときから兄弟のように育ってきた犬は、ぼくがドラッグでわけわかんなくなっている間に病気でずっと苦しんでいたらしく、発作と痙攣を繰り返して死んだらしいです。死体を見たときおれはなんてことしたんだとすごく後悔しましたが、結局マリファナを吸い続けました。

本当にどんな理由があろうと薬物を摂ってはいけないと思います。本当に大きなものを失って、さらに失ってることにも気づかないくらい頭がいかれます。そしてどっからそうなったのかわからないくらい、スムーズにすぐにそうなります。自分が助かったのは癌になるほど頑張ってくれた母と、心が完全に離れてしまったぼくに泣きながら必死にメールや電話で語り続けてくれた父のおかげです。

本当にどんな理由も薬物を摂る理由にはならないと思います。失ったものは取り戻せません。どうか摂るのをやめてください。

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K.Oさん(27歳)に書き下ろしていただきました。先日20日のラジオ番組内でも一部紹介しました。
ありがとうございました!
薬物体験者の実話2
薬物体験者の実話 第二弾です。
昨日ラジオにて、現代劇センター 真夏座の羽藤さんに読んでいただいた体験文です。

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「私は薬物を使ってた、だから薬物ヤルな、なんて偉そうに言わない、ただ薬物やったら、こうなるよって実感込めて伝えたい。俺は見てた、俺の真似して薬物使って地獄に堕ちてゆく行く弟を、そして家族を」

私が薬物と出会ったのは16歳、暴走族仲間から薦められたシンナーだった。きっかけは簡単、断るのがカッコ悪かったから、みっともなかったから。犯罪意識なんかなかったし、いつでもやめられるって思ってた。シンナーやってた頃のことラリッて殆ど覚えてません。シンナーは脳を縮める。マリファナは約16年使ってた!完全中毒!マリファナはゆっくり人間壊します。マリファナは害がないなんて言うけど自分含めて後遺症、狂った仲間、自殺した仲間たくさんいます。覚せい剤、私は、やりたくなかった。でも、仲間に誘われて簡単に使った。今、考えると仲間に依存してた。ヤク使ってる時は自分じゃなくなってる!ヤクチュウに本当の青春はない、クスリ使っての青春しかないんです、これがどれだけ苦しいことか寂しいことか。使い始めた時から心の成長が止まる。今でも、うまく心のバランスが取れないことがある。

3歳違いの弟は子どもの頃から私と一緒に行動することが多く、私を真似るように、それ以上に薬物にのめり込んで行った。本人にとっても家族にとっても地獄の日々が始まった。私は弟に“シャブやるならマリファナにしろっ”て言てったんだから完全狂ってましたね。弟の薬物使用を知りながら止めることが出来ないもどかしさ、自分のせいで何とかしなきゃ、親にも真実をいえなかった、自分が薬物使っていることバレたくなかった。弟は包丁持って暴れたり、見えない何かから逃げるため家の屋根の上を飛び回ったり、ホテルに立て込んだり、数えたらキリがないほど事件を起こし本当に別人になってしまった。もう隠せない状況になり薬物のことを親に話した。両親は震えながらも現実を認めた。

私は東京のアパートを引き払い役者をやめる覚悟で実家に戻り弟を監視した。状況は日に日に悪くなっていく、様々な事件を起こし、そのたびに母と2人で尻拭いをしてきた。いつも「覚せい剤やってるんだろう」と弟を責めてた。弟は完全に逃げ場を失ってた。何かに怯え慄きながら部屋の隅でシーツを被り震えてる弟を見ていると胸に杭を打ち込まれるようだった。辛くて苦しくてたまらなかった。

ある日、弟の彼女から電話があり、弟に包丁で脅され一週間も監禁されていると連絡があった。母とすぐに飛んでいき弟を連れて帰った。悪魔に取り付かれたような目、痩せ細った体、かすれた声、弟じゃない弟がそこにいた。弟を殺そうと真剣に思ったが、殺せなかった。次の日、父が「私達を苦しめないで欲しい」と懇願した。弟は大声を出し私の首を恐ろしいくらいの力で絞めあげた。本当に殺されると思い、死んだふりをした。弟は一瞬我に帰り、お兄ちゃんごめんねと手を離した。数分後、弟は7~8人の警官に囲まれた。警察を呼んだのは父だった。捕ってホッとした気持ち、弟を売ったという複雑な気持ち、私達を睨みながら自らパトカーに乗り込んでゆく弟の姿にゾッとした。完全に別人格でした。家族という絆がクスリによって簡単に破壊した。弟は精神病院に強制入院。オリに閉じ込められ強い薬を処方されロレツもまわらず垂れ流し、糞まみれの中で死んだように寝てる弟を見て、ここにいたら完全に弟でなくなってしまうと思った。

弟を病院から連れ出し伊豆に湯治に行った。薬も飲ませず温泉に浸かり体を動かす。弟は嘔吐を繰り返し子供返りが始まった。目の前にいる27歳の弟が4~5歳の子供になってしまう。一生このままかと思うと鳥肌が立ち涙が流れた。一ヵ月半後、だいぶ落ち着いたので実家に戻る。数日後、弟は飲み屋で暴れた。酒を飲んでのフラッシュバック。裏切られた気持ちで一杯だった。弟を責めた。フラッシュバックも薬物依存の症状の一つでヤクをやらなくても人や場所でもフラッシュバックする。これをきっかけに四六時中、幻覚、幻臭、幻聴、妄想の世界でしか生きられなくなった。ここが私達家族の“底つき”だったのかもしれない。限界だった!真っ暗闇のどん底だった。

ある夜、入院中の父から電話が入り、薬物依存症者の施設があり弟が助かるかもしれないと言う。父が初めて“弟の事を助けたい”と必死になっているのを感じた。“一筋の光”が差し込んだ。薬物依存者回復施設。施設長が「弟は私達仲間が救う」と言ってくれた。母はすがり付いてきた弟に、込み上げる気持ちを抑え「私達は何もしてあげることはできないの、施設に行くか、墓場に行くか、刑務所に行くか」三つしかないのよと伝えた。弟は自分の意思で施設に入寮した。一生、会わない覚悟でした。施設では基本的にミーティングの繰り返し、同じ悩みを抱えた仲間だからこそ嘘なく話せる。家族も家族同士、自分をさらけ出し回復してゆく。人は良い仲間がいれば立ち上がる事が出来る。

その後、弟は順調に回復し一年半後に会うことができた。何も言わなくてもお互いの心がわかっていた。弟は現在、地元を離れ新しい生き方を見つけました。これは薬物依存症者の中では珍しい一例で、殆どの依存者は社会に復帰出来ず苦しんでる。その家族も同様に闇をさまよってます。弟は私の新しい生き方は自身の体験を一人芝居にし、薬物依存症の現実を知ってもらうこと。一人でも多くの人が薬物と関わらずに過ごせます様に!!今日一日ありがとうございます。

内谷正文

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薬物体験者の実話1
ここ数日、覚せい剤に関するニュースも目につくようになってきました。
14日には神奈川の高校教諭が覚せい剤使用により逮捕、岐阜でもバス運転手が逮捕されています。

今回は、薬物の真実をお伝えするため、体験談をご紹介します。


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地方の大学を中退して、実家のある東京に戻って一人暮らしを始めることになりました。中退という人生初めての挫折感を抱えながら、仕事では1番になってやろうという意欲も持っていました。早く親元を離れて自由に生きたかった自分にとっては好都合でしたが、誰の傘の下にもいられなくなった不安もあって、今と同じように21歳の僕の中には色んな感情が同居していたように思います。

 どうせ働くならかっこういいスーツ姿で颯爽と街を歩きたくて、自分の能力を発揮できる場所が良くて、収入も見合ったものであって欲しかったですね。若かったからなのか、薬を使う前からなぜか自分に対する絶大な自信を持っていました。色んな夢や希望もありましたが、その頃の僕がした就職活動は新聞にはさまっている求人広告を見る事くらいでした。結果、出来上がらないゴルフ場の会員権を売ったり地上げのお手伝いをしたりする仕事に就きました。仕事は楽しかったし、お金は思うようになりました。ただ悪いことをしている罪悪感を拭うために毎晩のように六本木で酒を飲み、女の子と騒ぐ日々を繰り返しました。そんな中で覚醒剤と出会い、こいつと一緒に生きていこうと思うまでに時間はかかりませんでした。

 薬を使い始めて3年くらいまで、多くのことは上手くいきました。仕事や携帯電話はころころ変わりましたが、結婚もして子供が産まれました。家も買って人生設計通り、薬という最高のパートナーもいて自分の人生が今のまま進んでいったらどれだけ幸せか。ただ時間が経つにつれて、嘘をつく回数が増えていきました。感情的になって暴力をふるう事や借金も増えて、代わりに僕の周りからは少しずつ人が減っていきました。今いる回復施設に繋がったのはそんな頃、今から8年5ヶ月前です。

 最初の頃に仲間から「今日1日薬を止めよう」と言われても、止め方が分からなかったし、なんで薬から離れなきゃいけないのか分からなかったし、薬物を止めて未来の楽しみや幸せなんて描けなかったし、回復なんて勝手にやってくれよという思いしかありませんでした。仲間の文句も施設の文句も散々言いました。ただなぜか仲間は僕の居場所を奪わないでくれました。今思えば見守ってくれていました。仲間と過ごす中で、仲間の話を聞いて、生き方を変えないと僕の人生は良くはならないのかもしれないと少しずつ考えるようになりました。

 多くの仲間が昔の生き方に戻る姿を見てきました。刑務所に何度も行き来する仲間がいたり、中には死んでいく仲間もいました。僕には施設で回復を続けるしか選択肢はないんじゃないかと思う事もありました。ただ時間が経つにつれて、もしかしたら自分の人生は変えられるのかもしれないと思えるようにもなりました。嫌々やっていたプログラムも施設でやらせてもらえるようになっていた役割も自然と楽しくなってきました。

 今も自分の中にある小さいですが消える事のない薬物への欲求を感じています。怒りや絶望感を感じる度にそれが大きくなる事も分かります。どうやら僕は薬物への欲求を抱えたまま1日1日使わない選択を死ぬまで続けていかないといけなくなってしまっているようです。

 それでも僕を必要としてくれる仲間がいて、新しい家族にも出会う事が出来ました。昔思い描いていた大きな達成感や絶頂感はない毎日になっていますが、薬を使っていた頃のなりたくなかった自分から離れていられているのも事実です。これからも僕は自分の未来が幸せであり続ける為に今日1日は薬を使わないという生き方を続けて行きます。ありがとうございました。

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※ご提供いただいたTさん、大変ありがとうございました。
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